蓮舫の二重国籍はありえるよ
蓮舫の二重国籍が問題となっているが、蓮舫の二重国籍はありえない。法律でそう規定されている。
まず、日本は台湾と国交を結んでいないので、台湾国籍というものは認定されない。
台湾人は中国国籍をもっていると見なされる。
日本は台湾を国として承認していないから台湾籍というものはあり得ず中華人民共和国の国籍法が適用されるという詭弁じみた論法だが、台湾という国の国籍はありえないという立場からでも以下に述べる考え方の方が現実の運用(日本の認識)に近く、それにより二重国籍の可能性はありうると考えるのが妥当だろう。
どういうことかというと台湾が仮に中国の一部であっても台湾での国籍の運用は中華民国国籍法に拠っており、大陸では中華人民共和国国籍法で運用されているというだけの話だ。一国で国籍について二重の基準があるとみなせばよい。中国国籍(大陸版)と中国国籍(台湾版)の二種があって、実際にも別の運用がなされているということだ。以上!
もう少し言うと、両地域の政治的立場は微妙だが、互いの国籍法を否定しあっているということでもないようだ。
というのは両地域間での観光客が多数いるからだ。しかもそれはパスポートによるものでなく通行証などを使っているようだ(=別国籍という扱いでない)。詳しくはググってね。
で台湾の制度の方には自動喪失の仕組みはないので、蓮舫の二重国籍はありうるという認識が一番現実的だと思われる。
追記:( blueboy 君にうまく伝わらなかったようなのでもう少し説明を追加)
で、日本もそういった上記の事情は了解していて、別の国とまでは言わないが地域の特殊性に配慮した柔軟な対応をしているということだ。台湾という国と認めていないからと言って台湾のパスポートを無効ともしないし、在留"台湾人"の住民票の戸籍にも国籍・地域の欄に「台湾」と表記したりするわけだ。簡単にいえば日本は中国・台湾を一国二制度とみなしているわけだ。だから、日本からみても、台湾からみても、中国からみても蓮舫は台湾という地域の国籍法が適用される(とみなす)から二重国籍はありえるという話ね。※国籍に関する地方条例があると考えてもわかりやすいかもしれないね。
ガバガバ定義すぎる相対的貧困
件のNHKの放送では相対的のソの字もなかったと思うが、えらく相対的貧困に注目がいっている。
調べたところ、定義は可処分所得の中央値の半分以下の人が該当するらしい(世帯人数での調整あり)
ということはど真ん中の人より上の人たちの所得がどれだけ高かろうがまったく影響はないということだ。
言い換えれば仮に中央値より上の人たちを上級国民、それ以下の人たちを下級国民とすると、下級国民間にどれだけ格差がないかということだ。
つまり相対的貧困の対策として有効な策は下級国民の上半分に重税を課し、下半分に振り分けるのがもっとも効率的だということだ。
OECDの定義だが何かしらんがこれを担ぎ上げてる連中は多分上の方の連中で自分の所得はひた隠しにしておいて貧乏人同士で調整してくださいねと左団扇で安穏としたいだけなんじゃと邪推したくなる。
多分、絶対的貧困とジニ係数あたりでは一般人にはよくわからんからこんなものを作りだしたのだろうがガバガバすぎる。
例えば、下級国民の所得が横並びなら0だろうが1000万だろうが相対的貧困率は0%になる。相対的というのは下半分の中での話なのである。
世界銀行の絶対的貧困の定義が日本に合わないというのなら日本でのラインを決めればいいだけだろうに。
NHKの放送でとりあげた貧困が何的貧困か知らんがきちんと定義せずにエピソード報道に頼るから批判されるのだ。
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障碍者排除の合理性
自分のブコメとhoujiTとのやり取りが以下
聴覚障害理由に入店拒否 滋賀県ろうあ協「遺憾」 : 京都新聞
黒人お断りとはまた違うからね。一律に差別とみなすのはNG。90分って飲み放題やろ?そんなスタッフも客も汲々するようなとこじゃなくてもっとおおらかに飲めるとこ行けや。晒上げじゃなくていい店探して持ち上げろ!
2016/07/31 00:55
聴覚障害理由に入店拒否 滋賀県ろうあ協「遺憾」 : 京都新聞
- [障害]
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- [社会]
- [企業]
- [差別]
id:oktnzm 黒人も聾唖者も「もっとおおらかな所を探す努力を強いられる」、つまり同じ負担を強いられているわけで同じでないどころかかなり近くないかい。汲々としても「指差し」は負担のある注文方法じゃないし
2016/07/31 02:12
はてなブックマーク - 聴覚障害理由に入店拒否 滋賀県ろうあ協「遺憾」 : 京都新聞
id:houjiT 強いられる内容じゃなくて排除にどの程度合理性があるかが焦点でしょ。人種排除は100%差別/指差しが仮に負担なくても筆談x7はだいぶつらいっしょ。したことあるか知らんけど食い違うとすごい時間取られるよ。
2016/07/31 03:30
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id:oktnzm 「食い違ったら」はコミュニケーション全般に言えるわけで、会話が食い違って汲々とする一方で筆談がスムーズにいく可能性を否定しきれない。店の設備も不明だし、合理性の判断するには早すぎじゃないかな
2016/07/31 11:10
微妙に長くなったのでこっちで返信。
会話が食い違って汲々とする一方で筆談がスムーズにいく可能性
そりゃ場合によっては筆談のほうが早い場合もあるだろうが、一般には同じやり取りをするなら口頭のほうが早いというのが常識だろう。自分が言いたいのは食い違ったらより一層時間がかかるということである。別に差はない!とかいうのは自由だけど、障碍者の雇用助成等から聾唖者を除外することにつながりかねないかと。行政の認識としても「筆談のコスト>口頭のコスト」となっているわけでそこをベースにして議論するのが筋かと思われる。
返信は以上。
以下、今回の件全体についての雑感。
夜の店ってのは大きく2種類に分けられて、料金安い代わりに夜でも時間制限をつけて回転率を上げて利益を上げようとする店と、料金高いけど席はずっととれるし、給仕の人がしっかりついてくれたりする店があるわけよ。
今回問題になっているのは前者の店ね。90分制限て書いてあるから。たぶん飲み放題の90分コースだと思う。そういうとこだとスタッフの人数もギリギリで回してたりするので、ひとつテーブルで時間とられると他の客の対応がおろそかになるリスクもあるし、障碍者の人達も時間制限内で満足いく接客ができないリスクもあるだろうって店長は考えたと思うよ。店舗の売り上げにも責任があるだろうし、お客さんにも迷惑がかかるかもしれない、断りたくなるのは当然だろう。
そういうギリギリの店が障碍者対応キチンとしたけど、売り上げが減って店がつぶれたとき誰か責任とってくれるの?そうじゃないでしょ。だったら店が客を選ぶ自由もある程度は認めてほしいわ。
だから客もキチンとしてくれる店を選んで行ったらいいんだよ。高くて負担だというならそこは行政がクーポンとか補助金だすとかあるでしょ。そういう店を行政が広報してあげてもいいだろうし、そのほうがWinWinだろ。
あとは店からすれば障碍者を排除しなくても合理的になるように助成してあげるのも必要では?
就労では山ほど助成あるのに、お店は法律任せで丸投げなんてことになるのはおかしいでしょ。
今回の件で白黒つけて店は有罪・無罪というつもりはないが、障碍者排除のための合理性が少なからずあるといいたい。それにまつわるコストを真摯に考慮しないで法律掲げて「はい違法」ってやるのはただただ雑というほかない。そういう態度は結局表向きはPC、裏では満席対応という結果にしか繋がらないと思う。
以上
(※内容同じだけどメタブにも書いてたので参考までに)
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※下とはまた別の話/法律があるんじゃボケェじゃなくて、積極的な店舗に補助金出すとか減税するとか認証制度作るとかもっと建設的な施策があるだろ。コストは全部店持ちねってなったらそりゃギスギスして当然だわ。
2016/07/31 03:37
俺は自由民主党に入れない ~参院選2016~
とは言うものの左かと言えばそうではなく内閣も支持している。よくよく考えた結果、投票先は↓のようになった。
今回、自分の中での判断要素となったのは以下の2点だ。
- 反規制か
- 改憲勢力か
比例区の投票先はすぐ決まった。表現規制に反対する山田太郎議員だ。政党も保守である新党改革からの出馬となり特にケチはつかない。ただ実際に当選の見込みがあるかというとかなり厳しい印象ではある。ただ意思表明が大事であるし、もし今回無理だった場合でも今後反規制運動を続けていくのであれば支援したいと思っている。正直ロマン票である。
問題は選挙区である。これは悩んだ。自分は東京なのだが枠が6つもある。1枠なら自民に入れるのだが、6枠となると選択肢が広がるため判断が難しい。基本的に自民支持だが、自民一強を望んでいるわけでもない。東京選挙区の自民候補は2人いて、中川雅治と朝日健太郎だ。中川は間違いなく当選するからよしとして、朝日は元スポーツ選手だ。元スポーツ選手枠は無条件に入れたくない(自民としてはいらんことする心配がなくて扱いやすいのかもしれないが)。さてどうしたものかと情勢をみてみると、「おおさか維新元職の田中康夫さんと民進現職の小川敏夫さんは当落線上で争う」とのことだ。田中康夫は正直あまり好きではないが民進よりかはましだし、何よりおおさか維新は改憲勢力なのでここは手助けしてやるかということで一票をいれることにした。田中というよりはおおさか維新にである。
自分の理念としては多様性のある保守(改憲勢力を保守というのはおかしいかもしれないが)が望ましいと思っている。自民だけでは暴走しそうなので、公明やお維のような政党がなるべくまともなことをいう形になって不安定でない程度の連立・協力関係が維持されるのがよいと思っている。正直にいうと表現規制をしない自民が欲しいのだ。
また今回は改憲勢力が三分の二をとれるかが注目ポイントだが、だからと言って改憲が「争点」というのはおかしな話だ。三分の二はあくまで発議でしかない。それを改憲の是非になるならもし改憲勢力が三分の二をとったら改憲は民意と考えてくれるのだろうか?明治憲法下ならまだしもまるで国民投票がないかのような考えだ。
※都知事選でも投票先の考え方について同様のエントリを書いてみたい。
信なくば立たず
なんだかアホみたいな擁護が湧いているが舛添はやめて当然なのである。違法ではないというが都知事として求められてるのは法を犯さないということではない。知事という公職を任せられる人物か否かということである。法律を守るだけなら俺にでもできる。法は守って当然だ。
地方自治において議会が出すのは不信任決議というものだ。信任が基準であって、違法かどうかではない。これが通ると首長は何もしないと10日で失職する。議会がこいつには信じて任せられないぞと決めただけでその地位を失いうるのである*1。自治体の長というのはそれだけ信任を受けなければ維持できない重い地位なのだ。知事として居続けるには議会においては不信任決議を出されない、かつ市民からは直接選挙によって選ばれる、という両方をクリアすることが求められる(上記エントリによるとなぜか後者のみしか触れていないが)。そうした市民からの間接・直接の二重のチェックによって地方自治は維持されているわけである。cf. 不信任決議 - Wikipedia
翻って舛添の対応を振り返ると到底、都民、議会の信任に応えるような対応ではなかった。政治の機微機微と言って会議の相手を明かさないし(もし会議自体なかったのなら虚偽記載で不法行為なのだろうが、違法じゃない勢はそういったことも考慮してないのだろうか?え?会計責任者だけが対象だから問題ない?そうですか)、コンサートや野球観戦に招待されたというが誰からとも言えない。私の印象では知事の地位が掛かっているにも関わらず会議の相手や招待した人を明らかにできないということは実際にはそうした人はおらず、単に私的目的だったのだろうと推測するほかない。もちろん証拠はないが、そうでないというのであれば説得してもらう必要がある。説明責任は知事側にあるのだ。裁判ではないのだから疑わしきは罰せずは通用しない。疑わしきは信任せずでよいのだ。こっちが信じないといけない義理はどこにもない。
こうした感想は私に限らず、都民一般の感情だったろう。そうした多くの意見を汲んで都議会でも全会一致で不信任決議提出へと舵を切ったわけである。この流れは十二分に民主的ではないか。
多分、文句がある人はメディアが煽ったとかいうのであろうが、そうした意見は是非BPOや総務省に出して頂いて各放送局に放送法の遵守を求めるようにしたらいかがだろうか?(何の違反があるかは知らないが)
「舛添叩き」が衆愚の極みである理由 (HARBOR BUSINESS Online) - Yahoo!ニュース
何度も言ってるが、政治資金は税金から出てなくて、支援者の個人献金なんだよ。政党交付金は税金だけど舛添は無所属だから無し。そこを明確にした報道がほぼゼロな時点で、世論誘導して辞任に追い込む狙いが明白。
2016/06/15 09:46
また↑のような大変見苦しい擁護が湧いているが舛添の政治資金は元を辿れば7割が税金である。逆にいうと個人・企業から献金やパー券由来のものは3割程度ということだ。すぐググればわかることなのにこうしたデマに近しい言説を垂れ流したり、よく確認せずにスターをつけてしまうことこそ衆愚というほかない。(単にリテラシーがないのだと信じたいが)
また、交付金についての言及は第三者の厳しい?調査報告書の初めの方にもあるのだがまったくの観測外らしい。cf.http://otokitashun.com/blog/togikai/11612/ (リンク先PDFの4-5pあたり)
仮に100%個人献金であったとしても収支報告でウソをつくような人間を知事にしたくないし、虚偽記載であれば当然、法律違反になる。追及内容は変わらない。別に税金を返せと言っているわけではない(本当は返してほしいが)。都民は知事として信任できないねと判断したに過ぎない。ただそれだけの話だ。
*1:対抗手段として議会解散があるが、政策対立ならまだしも今回は舛添側に全く大義がない。
なぜクマラスワミ報告を擁護してしまうのか?
女性自衛官のブログ 自民党が問題視|日テレNEWS24
- [歴史捏造主義]
吉田証言が捏造と判明したにも関わらず、報告書の該当部分の撤回を拒否した人と同席することが光栄だなんて言ったら、歴史修正主義礼賛と思われかねないでしょ?いつもの歴史修正主義批判はどうした?
2015/07/09 10:55
ニュースの内容自体は5月ぐらいから一部で話題になっていたようだが、ここにきて表面化してきたようだ。
私の意見は上のブコメの通りで当然の対応だと思うのだが、他のブコメの反応はそうではないようで、そもそもクマラスワミ報告に対する認識が足りていないのではないかと伺える。
hate_flagが「クマラスワミ報告書は吉田証言を肯定してないからね。」等と言ってきたが、かなり認識が甘いのではないか?「肯定していないから修正する必要はない」ということだろうか?
クマラスワミ報告書は単なる証言集といったものではなく本人の意見が書かれている報告書だ。
ここで吉見義明*1がクマラスワミに送った手紙の内容を秦郁彦が紹介しているので以下に引用する。(孫引き失礼)
(略)吉見義明教授もク女史あてに書簡を送った。
全文は公開されていないが、日本の戦争責任資料センターが三月一日付で刊行した『R・クマラスワミ国連報告書』の「解説」は「率直にいって確実に事実誤認と思われる箇所がいくつかある。
その訂正は早急にクマラスワミ氏によっておこなわれるものと期待している」として、吉見がク女史あての書簡で指摘した要点を紹介しているので、要旨を次に引用したい。
"誤りの原因について述べますと、ヒックスに依拠した点が問題です。この本は、誤りの大変多い著書ですので、notesから削除したほうがいいと思います。一例をあげると、彼は吉田清治氏の経歴をまちがえている。彼は東大卒ではなく、東京にある大学を卒業したものです(吉田の本による)。
またヒックスが引用している吉田氏の著書の「慰安婦」徴集の部分は、多くの疑問が出されているにもかかわらず、吉田氏は反論していません。・・・・・・吉田氏が反論することは困難だと思われます。吉田氏の本に依拠しなくても、強制の事実は証明することができる(誰が強制したかを別にすれば、日本政府も徴集時や慰安所での強制を認めている)ので、吉田氏に関連する部分は必ず削除することをお勧めします。"
つまり吉見のような全うなリテラシーに基づいて報告書を読めば、クマラスワミ報告は「吉田の本に依拠して強制の事実を証明しようとしている」のであり、吉見のような知的誠実さに基づけばその箇所は削除すべきだという結論に至るはずなのである。
具体的には報告書の29節で言及があり、強制連行の証言の一つとして吉田証言が挙げられている。 (報告書へのリンク 正文 和訳 )
一方、40節に秦の反対意見も書かれており、両論併記であり、吉田証言を肯定しているわけではないという意見があるが、これは納得しかねる。というのは29節の方では吉田証言を自説への証拠として用いているにも関わらず、40節では秦はこう言っているという紹介レベルの言及であり、では吉田証言の信憑性はどうなるというような評価もしていない。扱いに差があり併記といえるような等しい扱いではない。
中立であればそもそも自説への補強に用いないはずだし、肯定的立場であるのは間違いないだろう。
吉見もいうようにもし結論が変わらずとも根拠に誤りがあるのであれば、そこは訂正すべきだというのが全うな知的誠実さに基づく歴史認識だろう。
にもかかわらず、修正の必要はないというような意見が多いのは、おそらく修正してしまうと慰安婦否定論者に勢いを与えることになりそれを回避したいというような思惑があるのではないか。被害者よりのバイアスが悪とまでは言わないがそれによって知的誠実さが損なわれてしまうのであればその様態も一つの歴史修正主義と言わざるをえまい。
政治的意思によりそういった立場をとることは当人の自由であろうが、私にはどうせ犯人なのだから捏造証拠でもって有罪にしてもよいと考えるような検察の姿が連想される。
そのような立場は真の被害者救済から遠のくだろう。クマラスワミ報告同様にもう一つの慰安婦についてまとめたマクドゥガル報告書も大変問題があるのだが、元アジア女性基金理事である大沼保昭は自著の『「慰安婦」問題とは何だったのか』の中で両報告を評して以下のように述べている。
国連の特別報告者の報告がすべて水準が低いというわけではない。学問的研究としてみても優れた報告もなくはない。ただ、たまたま二人の報告はレベルの低いものだった。「慰安婦」問題という、多くの人の関心を集めた問題に関する報告がお粗末なものだったことは、国連の権威と信頼性を傷つけるもので、残念なことだった。それをひたすら持ち上げた日韓の知識人、NGO、メディアの姿勢も、恥ずかしいものだったというほかない。
むろん、専門を異にする学者や専門的知識をもたないNGOやジャーナリストが、国連報告者の報告の学問的水準を判断することは難しい。そうした非専門家に、そこまで厳密な判断を求めるのは酷である。しかし、なればこそ、非専門家は正確な判断を求めて優れた専門家を探し、彼(女)らの意見を仰ぐ努力を尽くすべきである。そして、その専門家の意見が自分たちの求めるものと異なる場合は、その苦い真実に向かい合い、NGOは自己の主張や運動を再考し、ジャーナリストはみずからの報道や主張にそうした苦い真実を反映させるべきである。
「慰安婦」問題を扱ったNGOやメディアの多くは、こうした地道な努力を払わなかった。その結果、クマラスワミ、マクドゥガル両報告の過大評価が生じ、それが被害者支援運動を誤らせた。「慰安婦」問題における「クマラスワミ・ブーム」はこうした苦い教訓を後代に残しているのである。
同じ轍は踏みたくないものだがそもそも当初の過ちが未だに共有されていないように思われる。
※またよくこの報告書が国連の見解だのように思われているが、内容は「留意」されている。普通は「歓迎」されるが、日本側のロビー活動が奏功したようだ。その経緯は秦の前出書P.279-286に詳しい。
「慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪 (中公新書)
- 作者: 大沼保昭
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/06
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