「平和の少女像」の展示とその中止についての私的整理

 

事実関係がどうだったかという細かい話はほどほどにして、自分の認識について整理しておきたい。

自分としては法的に問題なければ好きにやればいいという姿勢に変わりはないのだが、今回の件は単に表現の自由という枠を超えて問題が複雑すぎる。

 

税金が絡むということ

まず一つ目の問題としては税金が入っているイベントだったということ。表現の不自由展自体は2015年にもやっていて、その時も少女像は展示されていたが、特に大きな問題にはならなかったようだ。

2015年には、日本の市民らが在韓日本大使館前に設置したのと同じ大きさの少女像と写真作家アン・セホン氏が撮影した慰安婦被害女性の写真などを集め、東京私立展示館で「表現の不自由展」という名前で展覧会を開いた。

http://japan.hani.co.kr/arti/international/34000.html

私立展示館でやるぶんには完全に公とは切り離された話になるが、税金が入る公のイベントでとなると、税金の使途として適切なのかという市民の意見とも対峙する必要が出てくる。これは表現に対する弾圧というより、むしろ市民も金の関係故に表現の当事者側に回り、その内部で合意形成がうまくいかない形になっているとみるのが妥当だろう。だから市民から抗議の電話があったとしても、金を出した行政の長から批判があっても、単に表現に対する弾圧とみなすことはできないだろう。

ちなみに前回の展示では別に少女像があることが隠されていたわけでもなく普通に同サイトで記事になっている。

http://japan.hani.co.kr/arti/international/19369.html

 

少女像のもつ意味

二つ目は現状、少女像が日本で持つ意味合いである。日韓合意(2015年末)で一定の解決に至ったと思われた慰安婦問題は今、こじれにこじれている。日本大使館前にある少女像はウィーン条約違反の疑いありと日本政府が抗議しているが韓国政府は有効な対応はしない。そして日韓合意で支払った10億(これまた税金)は宙ぶらりんのままである。

そんななかで同じ製作者による少女像を日本で展示するのは、はっきり言って煽りとしてしか機能しないだろう。平和を求める像といえば聞こえはいいが、字句通り受け取ってもらえるはずもなく、日本の問題解決に対する努力を踏みにじる像として見えてしまう人多く出てくることは想像に難くなく、結果、最大限の反発をくらうのは想定できたはずだ。

また、そうした像を無批判に展示許可してしまうのは名古屋市長が言っているように向こうの主張を認めることになるという主張も一理ある。

ドイツでナチのカギ十字、韓国で旭日旗が単にデザインとして扱われないのと同様に日本では少女像がもはや単なる像として扱われないのは当然の帰結だろう。

いずれにしても表現として規制されるべきではないと思うが、それらに対する批判もまた言論の自由であるから同じく規制されるべきではない。だが単に批判を踏み越えての脅迫や犯罪予告等は論外であろう。

 

小結論

というわけで今回の件は全体としてみると複雑だが、表現の自由という観点からみると脅迫などの法律違反の抗議が問題であり、正当化の余地はない。そこもう警察にしっかり仕事してもらうほかない。

あと行政は口を出すなというが、逆に韓国ヘイト作品があっても出展を許容すべきとまで言えるだろうか。行政はある程度のノンポリ的態度で裁量権を行使すべきである。

 

当事者間の問題について

 

今回の出展は津田の要請によるものである。

あいちトリエンナーレの芸術監督でありジャーナリストでもある津田氏が、当時展示を進めた市民らに依頼し、今回の少女像の展示が実現した。

http://japan.hani.co.kr/arti/international/19369.html

 

そもそもファイル共有ソフト解説で名を挙げたジャーナリスト崩れが芸術監督をやっているのが一番の謎なんだが(こいつが一番表現の自由の敵だろ)、今日の最悪の日韓関係を知らないわけもなくそもそも炎上狙いで今回の展示を企画したんじゃないかと疑いたくなる。

「表現の不自由展」の主催者が津田に踊らされて一番、燃料が注がれたところに飛び込んでしまったというところだろう。諸々の心配もあっただろうが、津田が心配するなとかなんの保証もないことでも言ったのだろう。いい面の皮であり、多少の同情を禁じ得ない。

 

不自由展の委員らは中止の撤回を求めており、さらに問題は続きそうだ。

表現の不自由展、中止に実行委が抗議「戦後最大の検閲」 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル

表現の自由というより当事者間の契約とか期待権の話に近いだろうが、今回は実際の脅迫があったことから、主催者が展示の中止判断をするのはやむをえないと言える。法的措置をとるといってもそういう点で、仮処分申請などで続行してもらうのはなかなかハードルが高いだろう。やはり当事者全体が一枚岩にならないと表現はもろくなるという印象だ。

 

過去の事件との比較

ニコン慰安婦写真展中止事件 - Wikipedia

一度許可したにもかかわらず、抗議を恐れたため中止というのは民間でも通らないぞという事件。今回は中止を決定したのがイベントの実行委員会であるからまた違った話となる。

 

九条俳句、公民館だより不掲載は違法 最高裁で確定:朝日新聞デジタル

「女性の人格的利益の侵害にあたる」。内容に対立意見があるからと言って掲載拒否はできないという判例

 

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だからWinMXはやめられない

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