「McGraw-Hill社への訂正勧告」での推計についての考察
以下は会見記事についての自分のブコメである。
「強制連行があったとするマグロウヒル社の記述は誤り」従軍慰安婦問題で、秦郁彦氏、大沼保昭氏が会見
欧米はマクドゥーガル報告を筆頭に無根拠の数字(強制連行20万、4分の3死亡)をあげつらって吉見から指摘されても居直るほどの歴史捏造主義が跋扈している。言われっぱなしじゃ黙認と看做される。きちんと糾すべき。
2015/03/17 21:37
はてなブックマーク - 「強制連行があったとするマグロウヒル社の記述は誤り」従軍慰安婦問題で、秦郁彦氏、大沼保昭氏が会見
大沼は基金を受取を申し出た慰安婦の名前をわざわざ秘匿したのに、韓国社会でそれが暴露され、ハラスメントを受けたことに強く憤ってるんだろう(それこそセカンドレイプ)。慰安婦自身の意思が置き去りにされてる。
2015/03/18 06:42
慰安婦問題はコメに書いたようにさまざまな論点があるが、今回は「McGraw-Hill社への訂正勧告」で示されたの兵士一人一日あたりの慰安所利用回数についての推計について考察する。
記事中、秦が
また20万人の慰安婦が毎日20人から30人の兵士たちに性サービスをしたと書いてあるんですが、当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人です。教 科書に従えば、接客は1日5回という統計になりますから、20万人が5回サービスすると100万になりますので、兵士たちは戦闘する暇がない。毎日慰安所 に通わなければ計算が合わなくなるわけですね(会場から笑い)。そういう誇大な数字が教科書に出されているということです。
と言っているが、正直どういう計算かよく分からなかった*1。が、詳細は訂正勧告に書いてあったようで、その中身は藤岡信勝のfacebookで確認できた。*2
それによると以下の計算になるようだ。
⑥ between twenty and thirty men each day ②と⑥は、きわめて誇大な数字であり、自己矛盾(self-contradiction)の関係にある。「20万人の慰安婦」(②)が「毎日20人~30人の男性を相手にした」(⑥)とすれば、日本軍は毎日400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。他方、1943年の日本陸軍のoverseas兵力(strength)は約100万であった。教科書に従えば、彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよったことになる。戦闘する暇も、まともに生活する暇さえもなくなる。
当初、自分は100万は大戦中のoverseas兵力の平均値だと思っていたのだが、1943年の値のようだ。
また、会見記事中の「接客は1日5回」も慰安婦一人あたりの接客数かと自分は読んでしまい、ひどく混乱してしまっていたが、実は兵士が「彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよった」という計算だったようだ。
つまり、まとめると
兵士が一日に慰安所に通った回数
=20万×(20人~30人)÷100万
=4~6回
ということだ。
ここで問題になるのは兵士側は1943年の値*3を使っているのに、慰安婦数はマグロウヒル社の20万をそのまま使ってよいのか?ということである。
原文(こちらも前出のfacebookページで確認可能。外務省の仮訳もある。)では
as many as two hundred thousand women
となっており、「最大で20万人の女性」といったところだろうか。同一時期の最大が20万だったのか、のべ人数の推計の上限としての最大なのかは明記されておらずわかりづらい。
前者としては、1943年時点の慰安婦数が分かっていればそれを使うのがベストだが、マグロウヒル社は根拠なく20万をあげているので当然そんな数字はない。
後者としては、教科書の文面をみるに慰安婦は奴隷的扱いを受けていたという前提のようなので、廃業の自由はなく、交代率*4は低かっただろうと想定できる。
なので、平均値≒のべ数という判断しての推計はざっくりながらもそこまでおかしな考えでもないだろうと自分は考える。
いろいろいじくり繰り回すより一旦、分かりやすい計算で提示して相手の反論を待つというのも一つの議論の形ではないだろうか。
とはいえ、教科書では
戦闘地域に配置され、これら女性はしばしば、兵隊らと同じリスクに直面し、多くが戦争犠牲者となった。他の者も、逃亡を企てたり、性病にかかったりした場合には、日本の兵士によって殺害された。戦争の終結に際し、この活動をもみ消すために、多数の慰安婦が殺害された。
ともある(当然、根拠なしの記述だが)ので、交代率が高い推計を考えてみる。
具体的な値を考えられるほど、自分は賢くないのでアジア女性基金のサイトのデータを借りる。
研究者名 | 発表年 | 兵総数 | パラメーター | 交代率 | 慰安婦数 |
秦郁彦 | 1993 | 300万人 | 兵50人に1人 | 1.5 | 9万人 |
吉見義明 | 1995 | 300万人 | 兵100人に1人 | 1.5 | 4万5000人 |
兵30人に1人 | 2 | 20万人 | |||
蘇智良 | 1999 | 300万人 | 兵30人に1人 | 3.5 | 36万人 |
4 | 41万人 | ||||
秦郁彦 | 1999 | 250万人 | 兵150人に1人 | 1.5 | 2万人 |
参考文献: |
吉見義明 | 『従軍慰安婦』岩波新書、1995年 | |
秦郁彦 | 『昭和史の謎を追う』下、文藝春秋、1993年 | ||
『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年 | |||
蘇智良 | 『慰安婦研究』上海書店出版社、1999年 |
※ちなみに上表の計算は兵士何人に対して慰安婦一人が割り当てられたかというパラメータに基づくので冒頭の推計とは計算方法が異なる。計算式は「兵総数÷パラメータ×交代率」である。
上表の吉見義明はマグロウヒル社を守ろうというアメリカの声明に参加しているので彼の値、交代率2、兵総数300万を用いる(慰安婦数も一致する)。*5
これらの値で冒頭の推計をやり直すと
=20万÷2×(20人~30人)÷300万
=0.66~1回
となり、兵士は2日か1日に1回しか慰安所にいけないことになる。
始めの推計より大分少なくなったが、現代社会で毎日、一日置きに一回ソープに行く人は相当な風俗狂と思われ、これでも過大な値のように感じる。
実際、秦は計算過程は異なるが、似たような結果の推計に対して以下のように断じている。
全兵力300万が戦争もせずに毎日1.3回か、三日に一回の割で慰安所通いをせねばならぬバカバカしい話になってしまう。慰安婦数かサービス頻度をうんと減らさないと、兵士の余暇と収入に見合う計算は成り立たない。『慰安婦と戦場の性』P.404
推計はあくまで推計なので、唯一ではなく、これはこれこれこういう判断で計算しました。という形で複数提示されても問題なく、むしろ自然な形だろう。実際、吉見も秦も複数の推計をしている。個々の推計に是々非々があるのは当然の話だ。
余談だが、マグロウヒル社の教科書では14歳から20歳までの女性が慰安婦にしたと書いてあるが、実際には30歳以下可として募集している広告がある*6ことから完全な事実誤認だ。これだけでもマグロウヒル社が如何に適当な認識で教科書を作っているかわかるだろう。日本兵をロリコンとでも印象づけたいような記述であり、20歳以上で慰安婦になった人を完全に無視している。
自分も別に秦が無謬だと思っているわけではないが、より正しい歴史認識を求める人々はぜひともマグロウヒル社やそれを擁護しようとする吉見にも同じく厳しい視線を向けて欲しいものだ。
「慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪 (中公新書)
- 作者: 大沼保昭
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 76回
- この商品を含むブログ (28件) を見る
*2:公開設定じゃないからgoogleで引っかからなかったようだ。なんともめんどくさい話だ。
*3:この値だが、後出の表から随分減っているが、それは後出は1944年時の値を使っているからである。また、満州は内地とみなして差し引いていると思われるが、それは本人に確認しなければ分からない。さすがに説明不足感がある。
*4:人がどれぐらい入れ替わったかのパラメータ
*5:ちなみにこの300万は秦の93年の推計を参考にしている。
"秦郁彦はつぎのような推計を試みている。アジア太平洋戦争期に軍慰安所が置かれていた海外地域の兵員数を平均300万人とし、兵員50名に1名の慰安婦がいたとみて、慰安婦がまったく入れ替わらなかったとして6万、1.5交代したとして9万とする(『昭和史の謎を追う』下巻)。海外にいた兵員数は42年で232万人、45年8月で351万人だから、軍慰安所のなかった地域や内地での軍慰安所の存在を考慮に入れれば、300万人という基数は妥当なところだろう。(吉見義明『従軍慰安婦 』P.78)"