自衛権をどう行使するかは憲法を気にせず、みんなで決めましょう

結論

自衛権は個別的、集団的を問わず合憲であり、どう行使するかは憲法を気にせず、みんなで決めてよい。

 

理由

最高裁砂川判決の判決要旨において

憲法第九条は、わが国が主権国として有する固有の自衛権何ら否定してはいない。(判決要旨の四)

 

わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではない。(判決要旨の五)

と判断している。・・・① (強調は引用者によるもの、以下同様)

ここでいう固有の自衛権とは国際連合憲章に基づくもので以下のように言及されている。

そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあるこ とは明瞭である。

 上の部分はあくまで安保が高度の政治性を有するということを述べるための部分だが、最高裁固有の自衛権=個別的および集団的自衛の固有の権利と考えているのは自明だろう。・・・②

また、

安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は、純司法的機能を使命と する司法裁判所の審査には原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲 外にあると解するを相当とする。

(判決要旨の八)

 

違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて~

(略)

終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねらるべきものであると解するを相当とする。

(理由の二)

とも言っている。・・・③

つまり簡単にまとめると、最高裁

憲法は個別的にも集団的にも自衛権を否定しないよ。(①、②より)

国家の根幹に関わる法律等の審査は、明白に違憲じゃない限り司法審査権の範囲外(今回は合憲と判断したけど)なので、実際どうするかはみんなで決めてね。(③より)

といっていることになる。

なので自衛権をどう行使するかは憲法を気にせず、みんなで決めましょう。

 

※ 以降、Q&A方式で補足する。

Q.今回の安保法制は明白に違憲じゃないの?→じゃないです

砂川判決の統治行為論の部分(上記の③)ばかり取り上げられるので、今回の安保法制は明確に違憲だろ!みたいな主張をする人がいるが、判決を読んでもらえば分かるとおり、「憲法第九条は、わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない」ので、少なくとも九条によって違憲と主張することは最高裁の判断と矛盾する。そういう人は判決を読んでいないのだろう。

また、憲法学者でも合憲とする人はいるのだから、一見極めて明白に違憲でないことは客観的にも明らかだろう。

Q.判決要旨部分だから傍論であって、先例としての拘束力はないんじゃないの?→ある

最高裁判所判事で東京大学名誉教授の伊藤正己の見解を引用しておく。

最高裁判例集に登載される裁判は、最高裁自身が判例として承認したものであり、裁判に関与した裁判官にとって判例的価値の大きいものと考えられることは当然である。(中略)とくにそこで判示事項とされ、判決要旨としてかかげられるところは、一般的な命題の形でかかれているためにその射程範囲について問題はあるとしても、判例としての拘束力をもつことに疑いがない。

(伊藤正己「裁判官と学者の間」P.59)

簡単に言うと、判決要旨は何に適用されるかはともかく先例としての拘束力がある。自衛権についての違憲審査が今後、あったときに先例として踏襲される可能性が極めて高いということ。もちろん法的に拘束されているわけではない。

(20150619追記)

もっと細かい点についてはallezvousとの議論があるので興味ある方はそちらを参照のこと。

 Q.個別的自衛権についてだけ認めてるんじゃないの?→判決としては日米安保についての判断だが、判例としては集団的自衛権も含んだ形で拘束力を持っている

そもそも日米安保自体が個別的なのか集団的なのかは後述するとおり、政府でも混乱があった。

しかし前項で述べたとおり判例としての拘束力がある判決要旨では2つを分別せずに固有の自衛権として認めるように判示していることから、集団的自衛権も認めていると読むのが妥当だろう。

お前が言ってるだけだろとか言われそうなので九州大学名誉教授憲法学者・横田耕一の見解も載せておく。

 なお、司法審査権をもつ裁判所は、安保条約については最高裁砂川事件判決 (一九五九年)などで、自衛隊については札幌高裁・長沼事件判決 (一九七六年)などで、安保条約や自衛隊など「国家の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性をもつ」ものについては、「一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査権の範囲外にある」として憲法判断を回避した。このため、九条と自衛隊・安保条約の整合性の有無は国民ないし政治の判断にまかされている。この判断が維持される限り、仮に閣議決定や法律などで、『案』のごとき改正を経ることなく、集団的自衛権」の行使が合憲として容認されたときには、具体的事件に関し訴訟が提起された場合でも、裁判所は同様の判断を示すであろう。

(横田耕一「自民党改憲草案を読む」 P.71) *1

なので100%ありえないと言うような読み方では当然ない。

(20150615追記) 政府見解も概ねその通りに統一された。

防衛相 砂川判決は集団的自衛権排除せず NHKニュース

法制局長官、集団的自衛権「砂川判決で許容」 :日本経済新聞

Q.「固有の権利」ってなに?→自然権です

固有ってなんだ?と思う人がいるかもしれないので補足しておく。

孫引き的になるが、国際政治学者の佐瀬昌盛の見解を石破茂が著書で紹介しているので引用する。

佐瀬昌盛先生は、「固有の権利」とは人間でいうところの「自然権」、つまり生まれながらにして持っているものだと述べています。その論拠の一つとしてこの部分の外国語での表記を示しています。以下、それをかいつまんで紹介いたします。
英語で「固有の権利」の部分は「the inherent right」。このうちの「inherent」は「固有の」「本来の」「生来の」「……に内在する」という意味です。  佐瀬先生は次にフランス語訳、中国語訳の該当部分を引きます。フランス語では「droit naturel」。「naturel」は「natural」と同じですから、まさに「自然権」と訳されていることになります。また、中国語では「自然権利」とそのままの訳語があてはめられています。その他、スペイン語、ロシア語、ドイツ語の訳も検討したうえで、佐瀬先生は「固有の権利」とは「自然権」と同じだと断じています。

石破茂 「日本人のための「集団的自衛権」入門」 P.29-30)

つまり自然権なので憲法前の権利として、国家が当然に持っている権利であると、国際連合憲章も日本の最高裁も判断しているのである。

 

Q.政府見解が変わりすぎじゃない?→マジで変わりまくり

本当はもっと変わっているのだが大事なところだけ取り上げる。

そもそも政府は日米安保=集団的自衛権として考えていた!(60年当時)

他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守ることは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点であり、そういうものはもちろん日本として持っている」(岸信介総理答弁 参議院予算委員会 1960/3/31)(同書 P.61)

 このように当時(砂川判決はもうちょっと前だが)の政府は安保自体が集団的かという認識であり、最高裁もその含みを持っていたために判決文でも特に個別的、集団的を分別せずに自衛権としてまとめて論じたのではないだろうか。

もし現状でも日本が侵略されたら自衛隊と米軍が協力してことにあたるので、当然それは集団的自衛と考えるのが当然ではないだろうか?だから集団、個別というのは基本、原則、様態によって判断するのであって、自衛の対象のみによって判別すべきではないと私は考える。(つまり国外に行くことだけを集団的自衛と考えるのは誤り)

※ただし、現政府見解では日米安保に関しては個別的自衛権の範囲だと言っている。

でも個別的自衛権だけと解釈するようになった

1981年の鈴木善幸内閣のときに以下の見解が出された。

「我が国が国際法上、集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと解している」(1981/5/29 政府答弁書) (同書 P.64)

(岸の答弁とあわせるとじゃあ在日米軍はどうなるのって感じだが・・・細かいことは置いておく)

 

自民公約、閣議決定として集団的自衛権の復活

去年(2014年)の閣議決定集団的自衛権がポッと出てきたと思う人も多いかもしれないが実は2012年の衆院選から自民は公約として掲げていた。(PDFなどはこちら

日本の平和と地域の安定を守るため、集団的自衛権の行使を可能とし、「国家安全保障基本法」を制定します。

(第46回衆議院議員選挙(平成24年度)自民党政権公約 P.21より )

ただし、2013年の参院選以降は集団的自衛権の文言を削っており、ややずる賢い印象がある。

国家安全保障会議」の設置、「国家安全保障基本法」「国際平和協力一般法」の制定など、日本の平和と地域の安定を守る法整備を進めるとともに、統合的な運用と防衛力整備を主とした防衛省改革を実行します。

(第23回参議院議員選挙(平成25年度)P.27)

 

「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(平成26年7月1日閣議決定)に基づき、いかなる事態に対しても国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備します。

(第47回衆議院選挙(平成26年度)P.24)

 

閣議決定については憲法上で許される範囲内で集団的自衛権が行使できるといっているが、実のところ冒頭の結論に基づけば集団的自衛権であれば元より憲法関係なく許されるのである。しかし、憲法解釈と絡めて論ずるあたり、内閣としては最高裁判断よりも抑制的に憲法解釈を行っているのだろう。もっと言わせてもらうと下手に憲法に絡めるから話がややこしくなるのである。「あ、実は憲法関係なかったわw」で本当はいいのである。大抵の人はこんなことを言うとビビるとは思うが、最高裁はそう言っているのである。私もビビった。

解釈改憲と批判する向きがあったが、あくまで政府の憲法解釈が変わっただけだ。(あるいはその人にとっては政府の解釈が憲法だったのかもしれないが。あるいはころころ解釈の変わる政府は信用できん!という批判はありだろう(だからきちんと法律を作ろうとしているのだが)。)

ともかく、文言の変遷はあるものの公約を掲げて三度も選挙を勝ったのだから、国民的合意は得られていると考えてよいだろう。自民は自信をもって審議、採決を進めていけばよい。

 

今回の法制案の審議、議論では表に出てきていない石破茂だが、↓の本は大変参考になった。彼も改憲不要で集団的自衛権行使が可能と考えている論者の一人だ。

日本人のための「集団的自衛権」入門 (新潮新書 558)

日本人のための「集団的自衛権」入門 (新潮新書 558)

 

 

石破も政府見解の変遷にはげんなりしているようで以下のように述べている。

「我が国は集団的自衛権国際法上保有しているし、憲法上も保有している。憲法上行使もできるが、政策判断としてこれを行使しない」と政府が言ってしまえばすっきりしたものを、行使しない根拠を憲法解釈に求め、ましてや「憲法上行使できない」としてしまったところに、そもそもの混乱の始まりがあったのではないでしょうか。

(同書 P.77-78)

残念ながら砂川判決についての見解などはないが、集団的自衛権については今のところ一番わかりやすい本だと思うのでお勧めしておく。

以上

※20150615 一部本文修正。判決リンクを最高裁ページに変更。

*1:細かい話だが、この本は自民党改憲草案が付録としてついているが太鼓もち本などではなく草案に対して基本、批判的に書かれている