もっと「上手」に戦争しよう。もっと「人道的」に戦争しよう。
Twitter / zaizengoro: 毎年この時期には「戦争は酷かった、悲しかった、いっぱい死んだ ...
民間人殺されまくったから平和志向になるというのも変な話である。
- 戦争が不可避的に悲惨になるのであれば話はわかるのだが、
- 先の大戦が日本にとって悲惨だったのは大空襲や原爆による民間人の殺戮が多かったのが大きな原因である。
- が、そもそもアメリカがハーグ条約?を破って民間人攻撃したのがその原因である。
- だからルール違反のアメリカ駄目だよね。という話ならともかく、なぜかそのステップは跳ばされて安易に戦争は悲惨という意見になるのはよろしくない気がする。
- ともあれ自分だけが戦争しない、民間人は攻撃しないといったとしても片手落ちなのである。相手のあることですから。
- こちらからは仕掛けない。それは当然として、いかに相手が仕掛けてこないようにするか、また、相手が仕掛けにくいようにするか。という対策をどうするかが大事である。
- だから、悲惨さを軽減するためには自衛力とか抑止力が大事であるという話になるのが当然の流れのはずだがなかなかそうはならないようだ。
- 自分の古傷を眺めて感傷にひたるのもほどほどにして、今、現在起こっているガザ、シリア、ウクライナあたりの戦争が何故起こってるのかを考えた方がよほど有益だと思われる。
- とは言っても一個人がどうこうしたところで何もかわらないので、四の五の言うより、ありがたく平和を享受して、遊んでいる方がもっと有益なのかもしれない。
顔写真公開は社会的制裁
まんだらけ | 警視庁の要請により顔写真の全面公開は中止させて頂きます
社会的制裁を狙ったとは考えられないかね?
- 窃盗に対する自力救済というのは犯人から盗み返すことだから顔写真公開とは違うだろう。
- 私的制裁という意見もあるが、顔を公にすることが私的というのも変な話である。
- 公開することが脅迫罪という意見もあるが、公開すること自体の正当性が問題になるだろう。
- もし社会的制裁をもくろんだものと考えればそれなりの道理が立つ気がする。どうせ捕まれば、(判決前であっても)実名・顔写真が民間企業であるマスコミによってさらされるのだからかまわないだろうと。
- 賠償として1億払えとかいうのならさすがに脅迫じみているが被害の弁済だけを求めているのだからだいぶまともな対応だろう。
- 警察としては困った被害者ということになるだろうが、リソースは有限なのだから適切であれば全体としては好ましいはずだ。
- 災害とかのスローガンで「自助・共助・公助」と言われるが犯罪対応はだめだろうか?
- 逆に児ポに顔モザイク掛けて誰かわからないようにすれば違法性がなくなるとおもうのだが、どうだろうか?
- 冤罪の懸念は正当性とは別の次元の問題だろう。顔写真公開ガイドラインでも作ったらどうか?
ゲームを楽しめない理由
色んな理由がありそう。
- 年を取ると、大抵の場合、主人公が年下になってしまうので、自分自身を投影できなくなる。子供のうちは「成長した自分」として見れるが、いい大人になると「もう戻れない過去」として感じてしまう。
- ↑と同じような話だが、時間の相対的な価値が高まり、プレイ時間を浪費と考えてしまう。大人は忙しいのだ。
- 作業に疲れる。プログラムの構造を理解するとレベル上げなどの作業が内部変数を変化させるためだけの作業にすぎないということがわかり、しらけやすい。戦闘自体が面白くないといけない。直接メモリを書き換えたくなる。コントローラー経由であってもバッチを組みたくなる。
- 楽をしたいというのはプログラマーとしてはよい性分である。ただし、ゲームにおいては楽しみたいとはトレードオフになってしまうのかもしれない。
- 子供心を忘れてしまった。多分、経験を積みすぎて、そうそうのことでは感動しなくなってしまっているのかもしれない。いい加減、作る側に回るべきなのかもしれない。
- くわず嫌いになっている。ホストゲーになっているFFなぞ食指が伸びない。逆に言うと時間を取られそうになっているものに対して神経質になっている。
- 個人的にはストーリーに没入したいので、いいゲームがあったら教えて欲しい。とは言いつつも基本は自分で探すべきなんだろう。
子供を持つ権利などない
- 通常の男女であっても不妊症で子供が産めない場合、当然、子供は持てない。医療の限界はどうしようもない。
- となると養子を迎えるのは一つの策ではある。現実にはそういう理由で里親になる夫婦もいる。
- しかし、そのように「養子をとる」ということを権利と考えるのには正直、違和感を覚える。
- 特別養子縁組においては基本的に実親と一緒に生活できなくなった子供が養子の対象となる。
- 需要に対して、供給が間に合っていれば問題なかろうが、足りない場合はどうするというのか?子供は分割はできない。
- 養子が持てるのはあくまで不幸を埋めあう形での巡り合わせに過ぎないのだ。
- 足りないなら作ればいい。ということで代理母とかを考える人がいるかもしれないが、子供自身の権利を考えているのだろうか?
- 自分は自然権として子供は実の親に扶養される権利があると考える。正直、これは当然な考えだろうと思う。そうでなければ、育児放棄が問題なくなってしまう。
- もし親が誰かに自分の子をすげ替えられたら、大変な問題になるだろう。これの親と子が逆の場合でも大変な問題だと思うのだが、いかがだろう。
- 養子のために生んであげるとか、代理母で~とかいうやり方は子供のそういう権利に干渉するということである。これについて真剣に考えない人は子供を単におもちゃかペットのようにしか考えていない人だろう。
- また、同性婚での子供を持つ権利などという話しがあるが、そもそも通常の夫婦においてもそんな権利は存在しないのである。
- ただし、不妊の夫婦の場合、本来、健康であれば子供を持てたと言う意味で、養子制度は障害者に対する保障のような働きをする。
- しかし、同性愛者の場合は、いくら健康であっても子供は、生まれないのである。よって異性愛者の場合と異なり、同性愛者にとっての養子制度は健常者に翼を与えるような形になり、基本的人権の保障だとか自然権のようなものとは言えないということができる。
表現の自己言及が嫌い
まず積極的に新しい情報を探しているごく少数のブックマーカーがいる。 彼..
自己言及してキャッキャ言い始めるコミュニティはなんかもう衰退期な気がする
- なんらの表現にしても自己言及があるとしらけを感じる。
- 漫画家が漫画家についての漫画を描くとか小説家が小説家が出てくる小説を書くとか。そういうのが嫌い。
- 他に書くネタなかったのかよと思う。何かを表現したくて書いてるんじゃないの?もうネタ切れになったのか?といいたくなる。
- それだけしかやったことのない人という感じがして浅い印象をうける。
- パヤオが高卒でアニメーター志望にまず大学行け!というのは激しく同意だ。
- だが春アニメのマンアシは面白かったよ!
マンガ家さんとアシスタントさんと 1 (ヤングガンガンコミックス)
- 作者: ヒロユキ
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2008/10/27
- メディア: コミック
- 購入: 2人 クリック: 92回
- この商品を含むブログ (78件) を見る
食わず嫌いなセクシュアリティ
単なる食わず嫌いじゃね?女ともやったり、掘ったり掘られてみれば?
- 上は自分のコメである。
- セクシュアリティとか簡単に言われるが、主観的にはbefore, afterがあると思われる。
- つまり、処女・童貞の時点か体験後かの違いだ。
- セックスが全てかはともかくメインの行事である。
- 大抵の人は視覚情報で性別を判断し、オカズを選び、「あー私はノンケだな」とか「ゲイ・レズだな」とか「どっちもいけるな」とか思うわけである。
- ところが、料理に例えてみると食いもしないのに料理の写真だけみて、「あー私はイタリアンが好きだな」とか「中華料理はちょっとな」とか思ってるのと同じである。
- つまり、見かけで判断したセクシュアリティである。
- 本当のところは実際に食ってみるまでは分からないのではないか?
- 嫌いと思ってるものでも口に運んで咀嚼することぐらいはできるだろう。同様に突っ込んで腰を振ることぐらいはできるだろう。(男の場合だが)
- その上でやっぱりダメなら、仕方ないし、逆に「お、案外いいんじゃね?」ということにもなるかもしれない。もしかしたらセックス自体こりごりだということになるかもしれない。
- セックスにおける感覚器官は目だけではない。生殖器は当然のこと、触覚、嗅覚、味覚も大事な感覚だ。 あまりにも視覚で判断したものに振り回されてはいないだろうか?
- もちろんリスクはちゃんと管理した上で、経験を増やし、総合的な判断をしていけばよいのではないだろうか。
- 多くの人はノンケかもしれないが、単にもう一個の方を味わっていないだけなのかもしれない。
匿名宣言
- 私はアウトプットが苦手である。
- はてブだと100字制限があるので、記事を見て思ったこと、つまり心象風景なようなものをささっとスケッチするように書くことができる。制約がアウトプットを後押ししてくれている。
- 制約がないとあれもこれもとなり、取捨選択がしにくくなる。
- 思考は先行する。当然、書く速度はおいつかない。というか考える速度は口よりも早い。
- まっとうな人間なら、思考を反芻し、まとめなおして文章にするのだろうが、自分にはそれが大変億劫でならない。英語の勉強でもディクテーションが嫌いだが、わざわざ自分の思考ですら同じことをしたくないという気持ちがあるのだろう。
- 実のところ、プログラミングにすら同じことが言える。キーボードを叩いている時間はあまり好きではないのだ。
- ただ、思考のスピードを下げ、また書く速度を上げる訓練をすることによって、いくらか改善の余地はある気がする。
- そもそもなぜそういう作業が嫌かというと、すでに通った思考なり論理というものを反復することに冗長さを感じたり、音楽的なリズムの狂いのようなものを見出すからだ。
- 考えている自分はさっさと先に行っているのに書いている自分はもたもたしている。このもどかしさといったらない。今もこの文章を少し読み返しても「俺、こんなこと書いたっけ?」って思うくらいのズレが生まれているのだ。
- アウトプットしたいという願望はあるものの、それまでにこういった億劫な作業が必要となるとなんかもう面倒くさくなって書きたいことがあってもまあ、いいやという気持ちになってしまう。
- だからある意味、頭の回転が遅い人は幸いかもしれない。アウトプットの速度と思考の速度が一致するのが最も理想的だからだ。
- 私にとってアウトプット自体が苦痛であるが、それでも今、手をがんばって動かしているのはなんらかの改善が必要であろうと思っているからである。なんらかの方策を見出して、改善したいという気持ちがあるからだ。
- アウトプットが億劫である一方、その一期一会にしてしまったものたちに未練があるということなのかもしれない。
- 作曲でいえば、ある素敵なメロディを思いついたとしてもそれを音符にすることもなく、ただ作曲家の頭の中で流れて、消えていく。それはあまりにももったいないし、悲しいことなのではないかとどこかで思っているのだろう。
- ただ、自分がここでアウトプットしたいのはそんな美しいものではなくて、もっと実名で口に出してしまうのは大変憚れるゲスい気持ちなのである。つまり、ある種のデトックスをしたいのだろう。
- 現実の真人間の私を保持したい一方で、この匿名空間での本性をむき出しにしたゲスい自分を『育てたい』『育みたい』という気持ちがあるのだ。
- はてブの制約がアウトプットを押し出すのに倣いブログ等でもある種の縛りプレイを導入するのがいいのかもしれない。500字以内だとか。(しかしすでに1000字超え)
- 解放が必要である。考えすぎないことが必要である。人がどうこういうだろうとか、こう反論されるかもしれないとかぐずぐず考えてはいけないのだ。自分の思考だけですら持て余すのに他人のそれもあれこれ妄想したところで堂々巡りになるだけである。
- 養老孟司が反論を想定して書く文章はつまらないと言ったがその通りだと思う。やはり文章はもっと独白としてありたい。
- 私自身の思考に忠実になりたいのである。素直な自分が生み出す、雑念のない自由な散策を楽しみたいのだ。
- 一方で人に見て欲しいという気持ちもある。先ほどまでのことだけならチラ裏だろということになるが、「アウトプットが開かれた場所においてある」という認識が自己にとって好ましいということなのだろう。
- はてブでも非公開にした状態でつらつら感想書いている人は稀だろう。多分、なんらかの癒し効果があるのだ。はてなスターとかも。
- 人が実際に見る見ないはともかくとして、アウトプットを開かれた場所に置いておく感覚。自分の手元に置いたままにせず、放つような感覚。それが自己になんらかのプラスなものを与えるということなのだろう。
- 無駄に頭が回る分、澱もたまりやすいのだ。掃き溜めにされるインターネットという空間としてはたまったものではないのだろうが、今、しばらくの間このアホな営為に付き合って頂きたい。
- 追記:20160507 タイトル変更 旧 "思考をディクテーションできない"