鬼滅の刃の原作だけは読んだおじさんになったので感想を書く(ネタバレ注意)

アニメも原作も見てない超出遅れおじさんが今更ながら頑張って原作だけは読んだので自分用メモも兼ねて感想を書いておきたい。自分視点で突っ込みいれたい点が多いので辛口批評に見えるかもしれないが総評としては23巻(予定)で少年が妹を救う冒険譚を書ききった名作であると言っておきたい。

 剣士になりたいという動機が弱い

冨岡が語る理屈(鬼が妹を人間に直す方法を知ってるかも)があるが心優しい炭次郎がそれを受容する描写がないので説得力が弱い。別に鬼を殺したいわけではないのだからもっと逡巡するのでは?環境巻き込まれ型主人公といえばそれまでだが。

禰豆子

他の鬼が正気を保っているのに禰󠄀豆子だけ自我がなくなるのはなんでや・・・作者がベルセルク好きらしいのでキャスカっぽくしようとしたのかもしれんが、鱗滝から暗示をかけられるのもあいまってどうにも戦闘人形と化してる感がぬぐえない。もうちょい話せる感じにしてもっと人間の血への欲求に苦悶する描写とか入れた方が深みは増したのではないかと思う。炭次郎の血だけは吸わせるみたいな描写は僕は見たかったですね(ウフフ)。読む前の印象では枷をつける深い理由があって主人公と共闘するヒロインなのかなと思っていたのでちょっと残念ではあった。

しかしながらグロ描写は自分は好きなので鬼という特性を生かして(?)リョナ・欠損・血の描写が多かったのは素晴らしいの一言。白眉はやはり蜘蛛の鬼に糸で吊られるシーンだろう。アニメでどう表現されたかめっちゃ楽しみである。

あと無惨が死ぬと全ての鬼が死ぬというのが前提*1なんだから「無惨殺すと妹死んじゃう」という究極の選択を入れる余地もあったのかなーと、漫画読む限りでは耀哉様しか知らないっぽいし炭次郎は最後まで知らんかったということなのかね。無惨が死んだ後も愈史郎は生きてるし特に伏線としては機能しなかったもよう。

炭次郎

そういう意味では主人公の重い選択というのは刀鍛冶の里で禰󠄀豆子を助けるか里の人を助けるかの選択ぐらいしかなくて(しかもどっち選んでも正解)、あとは強くなって戦闘において最善を尽くしていれば結果オーライに進んだ感はある。「心の成長」みたいな話にしても主人公はほぼ既に人格的に完成していて、周りがそれに影響をうけて変っていくというスタイルだ。ややもすると説教臭くなるところを炭次郎の無垢さで補って嫌味を最小化し、読む側としてはストレスフリーで楽しめる構造と言えると思う。なのでそういう構造が本作の骨子ということであれば↑で挙げた「禰󠄀豆子or無惨倒す」とか、「禰󠄀豆子が人間に戻ったから剣士やめるか」みたいな選択肢はむしろ邪魔なものになると考えると納得できる。(個人的には悩める主人公の方が好きだが、良し悪しというより作品のスタイルの問題だと思う)

善逸

大体の宣伝イラストでは目をつぶって居合の構えだったので、てっきり「あーこいつは知的でライバル的なクールなやつでは?」と思っていたらクソうるさいやつだったので個人的には一番がっかり感がでかかった。多少うるさいのはいいけど正直人格破綻の域に感じた。禰󠄀豆子が入ってる箱を身を挺して守るのは熱いは熱いがどうにも取ってつけた感がぬぐえない。寝たら強いというのも古臭いギミックだと思うし、扱いも難しいから、本来は炭次郎と共に強くなってという展開が予定されていた気がするが、後半に行くにつれてフェードアウト気味で最後に申し訳程度に獪岳倒させたという流れだったのもやむなしといったところだろう。

あと基本セクハラ野郎なのに女性人気が高いのが謎。母性本能くすぐる感じ?禰󠄀豆子見た後に一目ぼれで改心とかならまだ擁護できるが全然変わらないし、アニメ版の出来がそのうざさを感じさせないのかね?

伊之助

顔を隠してるキャラというのは大体コンプレックスとか隠す理由とかサイドストーリーがあるものだが、あっさり被り物が取れて、顔に文句あるのかぐらいは言うが特に気にする様子もないのは拍子抜け感があった。ただ育ててくれた猪の剥製らしいので隠すというよりかは形見を頭に乗せているというレベルなのだろう。周りの人たちの温かさ(=ホワホワ)によってどんどん人間味がでてくるというのはベタだけどいい流れだったと思う。最終戦ではどこかで覚醒した感じで被り物取れてもよかったのかなと思う。

耀哉様

亡くなった隊員の墓参り毎日するくらいなら最終選別でもっと死なないようにしてあげて・・・まあ最終選別の設定が過狩り狩りから持ってきただけで後から整合性持たせるのは放棄してる感じなんで目を瞑るしかないかな^^;

 キャラデザとか

炭次郎・禰󠄀豆子・善逸・伊之助のキャラデザはピカ一。見るだけで世界観が伝わってくるセンスは凄い。柱もそれぞれ個性的だが、さすがに9人は多すぎない?後半は柱と上弦のエピソード消化でいっぱいいっぱいで上の炭次郎以外の3人はちょっと影が薄くなった感が否めない。四天王とまでは言わないが義勇・無一郎・蛇柱あたりは2人か義勇一人に絞ってもよかったんじゃないかなーと。(まあ後講釈だけど。)

義勇さんは立ち位置的にメインの一人のはずだが炭次郎が完成しすぎちゃってるので兄貴面させてもらえず逆に諭されるという始末。(錆兎のエピソードはまだ引っ張るの!?って思っちゃった。ごめんね><)キャラもブレ気味で初対面で「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」からの饒舌説教しれてくれたのに口下手設定は無理がないか?「おはぎ持っていこう」も無一郎なら言いそうだがもう誰この人って感じ。炭次郎に諭されるシーンのために病みキャラにさせられたなぁという印象。

あと、しのぶーカナヲーアオイあたりはちょっと似ているので見分けるのに一瞬時間がいるのがややストレスだった。それぞれキャラは立っているがしのぶが一番派手な分、カナヲが地味でかわいそう。

蝶屋敷の三人娘

目が点で書かれているのがなんというかザワザワする。個人の主観だが、一般的な男作者であれば女の子は隙あらばとにかく可愛く書くという姿勢に対して、ずっと目が点で押し切っているので女作者ならではだなぁと思うのと同時に脇役の描写が雑なのは一般人を軽んじてる感じがして残念であった。198話の扉絵でアオイと共に祈っているコマがあるがシリアス調ではあるが目を瞑っているので白目を書くことから逃げ切った感がある。邪推だが作者の自意識がここらへんのキャラにあって控えめに書いているというのがある意味前向きな解釈かもしれないが、同一作品で女の子の容姿描写に差があるのは差別とまでは言わないがかわいそうと思ってしまう。ちびまる子ちゃんのミギワさんやペルソナ4の大谷、かぐや姫の物語に出てくる捨丸の妻などが思い出される。一話で当時は同年代と思われる禰󠄀豆子やもっとちいさい妹はしっかり書いているのだから書けばいいのにと思う。蝶屋敷編自体がギャグパートの扱いということなんだろうが緩みすぎの印象。締めるところは締めて欲しい。

ブスをネタにされても・・・

同じようなネタは他にもあって、4巻末にもしも男女が逆だったらとしてメインの4人が書かれる4コマがあるが炭次郎だけ炭子としてブスに書かれている。笑いとして面白い面白くない以前に戸惑いを覚える。別にPC的に容姿を笑ってはいけないとか思っているわけではないが、一種露悪的であって少なくとも鬼滅という作品にはそぐわなかったのではないか?

ともかく完結させたのはめちゃくちゃ偉い

めっちゃ上から目線だが、ぐだる展開もないし変に引き延ばさないで終わらせたのはめちゃくちゃ偉いと思う。赤ちゃん無惨がAKIRAの鉄雄とは比べるまでもなかったり最終ページに作画ミスがあったり*2するのは些細なことであって人気絶頂のさなかにあってしっかりボスまで倒して完結というのは他のぐだってる長期連載作品には見習ってほしいもんである。

もっと雑でいいのかもしれない

色々批判めいたことを言ったが、アラを探せば出てくるのは仕方ないだろう。逆に今後創作をしようという人にとってはある意味勇気をもらえることかもしれない。一度書いてしまったことに捕らわれることなく適度なご都合主義を織り交ぜても人気作品になれないわけではないし、初めから完璧を目指さなくてもなんとかなるという好例と言えるだろう。そういった諸々を含めて、鬼滅は名作であると改めて評しておきたい。

小ネタ

「責任から逃げるなアア!!」のコマだけ5chに貼られていたりしたので、てっきり部下に言ってるのかと思って、はー炭次郎って厳しい上司に成長するんやねと思ってたら全然違ってて草

 

*1:137話無惨と耀哉の対話より

*2:左手が使えてしまっている

いわゆる「小学生にも分かるが大学院生でも解けない」良問パズルの問題のほうを求めるやり方

 

www.watto.nagoya

 

watto氏が紹介していたパズルで使われている数字の組み合わせの導出方法のわりと簡単な解法が分かったので書いておきたい。なるべくわかりやすく書いたので厳密でない部分があるかもしれないが大目に見て欲しい。多分高校生レベルであればわかると思う。

 

パズルの答え自体をまず言ってしまうと、3桁の数字とそれぞれ右側に数値が並んでいるが、その3桁の数字の上2桁と下1桁をかけた数字が右側の数字となっているという話である。

しかしながら、それと同時に右側の数字は下2桁の数字と上1桁をかけた数字でもあったというのが趣深いという話であった。(なお自分は1分ぐらい考えて全く分からなかったよ!!)

さて新たな問題はそのような条件を満たす3桁の数字を総当たりでなく、理詰めで求められるかというのがwatto氏の疑問である。

条件の整理

3桁の数字を一般化すると下記のようにあらわすことができる。各桁の数字をx,y,zとおくと

100x+10y+z

ただし、9≧x≧1, 9≧y≧0, 9≧z≧0 *1

そしてこの時、3桁の数字の上2桁と下1桁をかけた数字

(10x+y)z

 であり、下2桁の数字と上1桁をかけた数は

(10y+z)x

となる。その二つが等しいので

(10x+y)z=(10y+z)x

ばらすと、

10zx+yz=10xy+zx

9zx+yz=10xy  ・・・★

自明な解を探す

※自明はここではすぐわかるぐらいの意。*2

watto氏も挙げていたが自明な解としてx=y=zの場合がある。つまりゾロ目の111~999である。これは単にy=x, z=xを★の式に代入すれば成り立つことが分かる。

また、x=yを★に代入した時、x=zとなるから結果、x=y=zとなる。

同様にx=zの場合もx=y=zとなる。

よってx=yやx=zの場合はゾロ目に帰着する。

 

また、y=0を★に代入すると9zx=0。x≠0であるから9xで両辺を割ることができてz=0となる。同様にz=0ならy=0となる。よってy=0、z=0のとき★はいつでも成り立つから100~900も自明な解である。

 

ここ以降は上記の簡単な解は考えなくてよいので

x=y、x=z、y=0、z=0

の場合は除くことができる。よって後は

9≧x≧1, 9≧y≧1, 9≧z≧1、x≠y、x≠z

を満たす場合だけ考えればよい。

 

約数を考える

さて★の式だが、9,10でうまく括ってやりたいので両辺に9yzを足してやる。

9zx+10yz=10xy+9yz

10yz-10xy=9yz-9zx

10y(z-x)=9z(y-x)

 

さてここでx,y,zは整数だからそれらを足し算、引き算、掛け算したものも整数である*3

よって上の式のy(z-x)やz(y-x)は整数である。

左辺の10に注目すると左辺は10×整数であるから、10の倍数である。

ここで右辺は9×整数であるが、9は10で割り切れない*4ので残りの整数部分が10で割り切れなければならない。

だから残りの整数部分=z(y-x)は10の倍数である。

ところでzは1~9だから10の倍数にはならない、y-xもせいぜい9-1が最大の差なので同様である。だから10の約数である2と5のどちらかをz,(y-x)がそれぞれ約数として一つずつ持つということが分かる。・・・★★

同様の議論を右辺で考えるとy(z-x)は9で割り切れなくてはならない。ここでz-xは最大でも9-1であって9より小さいのでz-x=9はありえない。よってz-xが9で割り切れることはないため約数の振りわけとしては、9=3x3なので、

1.y=9

2.y=3を約数に持ち、z-xも3の約数である

 

のいずれかであるが、いずれにせよyは3の倍数であることが分かる。ここで★★の条件を振り返るとzかy-xが5の倍数であることが分かるので場合分けして考えてみる。

zが5の倍数

9≧z≧1なのでz=5である。

ここでyは3の倍数なので(y,z)=(3,5),(6,5),(9,5)のパターンを考えればよい。

それぞれ★に代入するとx=-1,2,1となる。9≧x≧1なのでx=-1を除くと

(x,y,z)=(2,6,5), (1,9,5)

が残る。

y-xが5の倍数

y-xは最大で9-1なので10以上にはならない。よって5と-5の場合だけ考えればいい。またy≠xなので0にもならない。

そのようなパターンを単に列挙すると

(x,y)=(1,6),(2,7),(3,8),(4,9),(5,0),(6,2),(7,2),(8,3),(9,4),(0,5)

しかしx≠0,y≠0であり、yは3の倍数なので該当するものだけを残すと

(x,y)=(1,6),(4,9),(8,3)

となる。

それぞれ★に代入するとz=4,8,16/5となる。16/5は整数ではないので除くと

(x,y,z)=(1,6,4),(4,9,8)

が残る。

まとめ

以上から★を条件を満たすx,y,zは

  1. 自明な解:ゾロ目111~999と下2桁が00の100~900
  2. (1,6,4),(1,9,5),(2,6,5),(4,9,8)

であることがわかった。ざっくり証明終わり!

 

感想

議論が甘いところがあるとは思うが大筋は問題ないと思う。正解だけを一発で出すエレガント*5な解法があればいいのだが自分の実力ではここらへんが限界である。★の式は三元一次方程式という式で一般的には条件から1つのパラメータに帰着させてバーッと答えを出せるっぽいのだが今回は全く適当なやり方が分からなかったので泥臭いやり方になった。

ともかく、自分としては趣味としての数学好きぐらいのレベルで理系の大学には行ってはいないし、数論もかじったぐらいだが一応答えらしきものを出せたのはうれしい。

説明も合同式などは使わなかったので高校生でもわかるのではないかと思う。

 

ちなみに数論はロマンがあるが現実の応用には繋がりにくいのでちょっとつらいところ

※↓読みかけで、途中で遭難している本(サムネ用)。数論の面白い本だよ!

 

ガロア理論の頂を踏む

ガロア理論の頂を踏む

 

 

 

*1:x=0だと2桁の数字になるためx≧1

*2:英語だとtrivialとか言われるけどちょっとかわいそう?

*3:厳密にやりたい人は(たい)とかがぐぐって

*4:厳密には互いに素=同じ約数を持たないから

*5:おシャンティな解法にはこのような言い方をする

「平和の少女像」の展示とその中止についての私的整理

 

事実関係がどうだったかという細かい話はほどほどにして、自分の認識について整理しておきたい。

自分としては法的に問題なければ好きにやればいいという姿勢に変わりはないのだが、今回の件は単に表現の自由という枠を超えて問題が複雑すぎる。

 

税金が絡むということ

まず一つ目の問題としては税金が入っているイベントだったということ。表現の不自由展自体は2015年にもやっていて、その時も少女像は展示されていたが、特に大きな問題にはならなかったようだ。

2015年には、日本の市民らが在韓日本大使館前に設置したのと同じ大きさの少女像と写真作家アン・セホン氏が撮影した慰安婦被害女性の写真などを集め、東京私立展示館で「表現の不自由展」という名前で展覧会を開いた。

http://japan.hani.co.kr/arti/international/34000.html

私立展示館でやるぶんには完全に公とは切り離された話になるが、税金が入る公のイベントでとなると、税金の使途として適切なのかという市民の意見とも対峙する必要が出てくる。これは表現に対する弾圧というより、むしろ市民も金の関係故に表現の当事者側に回り、その内部で合意形成がうまくいかない形になっているとみるのが妥当だろう。だから市民から抗議の電話があったとしても、金を出した行政の長から批判があっても、単に表現に対する弾圧とみなすことはできないだろう。

ちなみに前回の展示では別に少女像があることが隠されていたわけでもなく普通に同サイトで記事になっている。

http://japan.hani.co.kr/arti/international/19369.html

 

少女像のもつ意味

二つ目は現状、少女像が日本で持つ意味合いである。日韓合意(2015年末)で一定の解決に至ったと思われた慰安婦問題は今、こじれにこじれている。日本大使館前にある少女像はウィーン条約違反の疑いありと日本政府が抗議しているが韓国政府は有効な対応はしない。そして日韓合意で支払った10億(これまた税金)は宙ぶらりんのままである。

そんななかで同じ製作者による少女像を日本で展示するのは、はっきり言って煽りとしてしか機能しないだろう。平和を求める像といえば聞こえはいいが、字句通り受け取ってもらえるはずもなく、日本の問題解決に対する努力を踏みにじる像として見えてしまう人多く出てくることは想像に難くなく、結果、最大限の反発をくらうのは想定できたはずだ。

また、そうした像を無批判に展示許可してしまうのは名古屋市長が言っているように向こうの主張を認めることになるという主張も一理ある。

ドイツでナチのカギ十字、韓国で旭日旗が単にデザインとして扱われないのと同様に日本では少女像がもはや単なる像として扱われないのは当然の帰結だろう。

いずれにしても表現として規制されるべきではないと思うが、それらに対する批判もまた言論の自由であるから同じく規制されるべきではない。だが単に批判を踏み越えての脅迫や犯罪予告等は論外であろう。

 

小結論

というわけで今回の件は全体としてみると複雑だが、表現の自由という観点からみると脅迫などの法律違反の抗議が問題であり、正当化の余地はない。そこもう警察にしっかり仕事してもらうほかない。

あと行政は口を出すなというが、逆に韓国ヘイト作品があっても出展を許容すべきとまで言えるだろうか。行政はある程度のノンポリ的態度で裁量権を行使すべきである。

 

当事者間の問題について

 

今回の出展は津田の要請によるものである。

あいちトリエンナーレの芸術監督でありジャーナリストでもある津田氏が、当時展示を進めた市民らに依頼し、今回の少女像の展示が実現した。

http://japan.hani.co.kr/arti/international/19369.html

 

そもそもファイル共有ソフト解説で名を挙げたジャーナリスト崩れが芸術監督をやっているのが一番の謎なんだが(こいつが一番表現の自由の敵だろ)、今日の最悪の日韓関係を知らないわけもなくそもそも炎上狙いで今回の展示を企画したんじゃないかと疑いたくなる。

「表現の不自由展」の主催者が津田に踊らされて一番、燃料が注がれたところに飛び込んでしまったというところだろう。諸々の心配もあっただろうが、津田が心配するなとかなんの保証もないことでも言ったのだろう。いい面の皮であり、多少の同情を禁じ得ない。

 

不自由展の委員らは中止の撤回を求めており、さらに問題は続きそうだ。

表現の不自由展、中止に実行委が抗議「戦後最大の検閲」 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル

表現の自由というより当事者間の契約とか期待権の話に近いだろうが、今回は実際の脅迫があったことから、主催者が展示の中止判断をするのはやむをえないと言える。法的措置をとるといってもそういう点で、仮処分申請などで続行してもらうのはなかなかハードルが高いだろう。やはり当事者全体が一枚岩にならないと表現はもろくなるという印象だ。

 

過去の事件との比較

ニコン慰安婦写真展中止事件 - Wikipedia

一度許可したにもかかわらず、抗議を恐れたため中止というのは民間でも通らないぞという事件。今回は中止を決定したのがイベントの実行委員会であるからまた違った話となる。

 

九条俳句、公民館だより不掲載は違法 最高裁で確定:朝日新聞デジタル

「女性の人格的利益の侵害にあたる」。内容に対立意見があるからと言って掲載拒否はできないという判例

 

 サムネ用:

だからWinMXはやめられない

だからWinMXはやめられない

 

 

コインハイブへの無理筋な擁護が謎

 

コインハイブ事件 高木浩光氏が公判で証言「刑法犯で処罰されるものではない」 - 弁護士ドットコム

ユーザーに明示しない時点でNGだろ。同じリソース喰うでも意図が違うし、横車押すような反論。広告とコインハイブの間にはいくらでも線が引ける。

2019/01/16 03:41

 

高木は別に嫌いじゃないが、無理筋擁護だと思われる。リソースを使う点では広告と同じと言っているが質的差異がある。広告と同一線上にならべてちょっと悪いぐらいだみたいに見せたいのだろうが無理がある。線引きはちょっと考えただけでもいろいろ出てくる。

  1. 広告はユーザーに表示された時点でその表示のためにリソースが使用されたことが分かるが無断マイニングではわからない。
  2. 広告はメディアに対して付随するものということには社会的に理解されている文化である。ユーザーが認知できないようにしたい広告はない。それに対しウェブを閲覧しただけでマイニングがされて当然というような社会的合意は今のところない。(また、今後も理解を得られる望みは薄いだろう。)
  3. メディア側の収益化の手法として広告はユーザーに見てもらうことに意味があり、リソースの消費はあくまで不可避的に発生するものになるが、マイニングではユーザーのリソースを使うこと自体に目的がある。合意がない場合、マイニングで得られた収益はそもそもユーザーに帰すべきものである。

というわけで到底、無断マイニングは広告とは量的差異にとどまらない質的差異があり広告と比較しての擁護は無理があるだろう。

むしろユーザーに無断という点ではクッキーやトラッキングと比較すべきだろう。Web開発側の人間ならともかく、これらはユーザーのWeb上での行動を外部送信する場合があるので問題になりうる。ただリソースの消費は限られたものになる場合が多いであろうし、個人情報になるレベルのものではないのが通常だ。(もしそれを踏み越えるものがあるのであれば別途問題にすればよい)

そもそも論として不正指令電磁的記録関連の法律は射程が広い。単にあからさまなウイルスを対象としているわけではない。あいまいと考える人もいるかもしれないが、内実としてはユーザーに対して説明責任をしっかり果たしていれば基本的には問題にならない。保護法益は「電子計算機のプログラムに対する社会一般の者の信頼」としており、今回の件が、それを毀損するのであれば罰は免れまい。法制化してから罰しろという意見があるが、そういう意味では既に法律化されているのである。

参考:http://www.moj.go.jp/content/000076666.pdf 

参考:いわゆるコンピュータ・ウイルスに関する罪についてhttp://www.moj.go.jp/content/001267498.pdf

現状の法律はそうなっているので単にウイルス扱いされていると思って擁護していた人はもう少し認識を改めて本当に擁護に値するものかどうかを確認することをおすすめする。

若おかみは小学生!の感想(ネタばれあり)

音楽が平凡すぎ。作画の6割ぐらいの実力だった。同じフレーズが3回ぐらい聞こえてきたときは切れそうになったw

作画はぬるぬる感があって良かったが、動画から起こしたのかなという印象が強く、そこまで魅力的なカットはなかった。

ストーリーはまあまあ良かった。実際結構なもらい泣きしたが、別離の涙であって感動の要素は薄い印象。

おっこが成長していく姿は良かったが、かなり自助に近い感じな印象。幽霊組も存在の必然性があまりなく、お別れ要素の盛り上げ材料と化している印象。

いっそ、グローリー丸ごとカット(買い物シーンは面白いがいらない)して、幽霊組や婆ちゃん、ピンフリとの絡みをもっと濃くした方がよかっただろう。逆にいうとピンフリの人間が出来すぎていて魅力が薄い。もっとデレがあった方がよかった(おっこがありがとうと言った時に多少はにやけろや)し、お互いに成長していくみたいなストーリーが見たかったなぁ。

総合してギリ佳作といったところか。

(あと山ちゃんの声が浮きすぎな印象。いい声すぎるw)

 

若おかみは小学生! 花の湯温泉ストーリー(1) (講談社青い鳥文庫)

若おかみは小学生! 花の湯温泉ストーリー(1) (講談社青い鳥文庫)

 

 

かえる(ふくろ)さんのツイート: "「女性の下着はエロいから下着屋も規制しろ」「太ももが卑猥ならミニスカートで歩いてる女性も規制対象だ」などのように、区別がつけられずお困りの人がいたら、この画像2点を見せてあげてほしいです…こちらの画像はご自由にお使いください(いらすとやさん素材ですし)… https://t.co/Jw5IV54Ec7"

またブコメで屁理屈いうやつが居るんだろうけど、社会で合理的に受容される程度の基準を無視して外形的な要素還元の陥穽にはまるなら、そもそも裁判所みたいな「事実認定の専門家」もいらないわな。

2018/11/04 12:41


またブコメで屁理屈いうやつが居るんだろうけど、社会で合理的に受容される程度の基準を無視して外形的な要素還元の陥穽にはまるなら、そもそも裁判所みたいな「事実認定の専門家」もいらないわな。 - kashiwa_nakamotoのコメント / はてなブックマーク

 

まさにその「事実認定の専門家」によってろくでなし子は有罪になったんだが・・・そんな専門家ならいらんでしょ・・・

憲法第99条を持ち出して改憲の話をするなというのはかなり無理筋なのでは・・・?

 

首相訓示は「憲法擁護に反する」 野党批判、自民議員も困惑 - 共同通信

日本の首相に行政府の長としての立場と一国会議員としての立場の二重性があるのは自明でしょ。前者のパワーを使って改憲を目指すのはNGだが、後者としての所信を述べるのはなんら問題ないでしょ。二つは両立する。

2018/09/04 12:57

 このブコメを書いた後、議員であっても、首相なのだから(そっちが優勢で)改憲の話はNGみたいな反論はありえるだろうなと思ってしばらく考えていた。

ただ憲法を紐解くと、どうも掲題のような結論になりそうだという感じがしてならない。

以下99条(強調は私)。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法尊重し擁護する義務を負ふ。

 なるほど~「尊重し擁護する」べきなんだから国務大臣たる首相は改憲の話はできない・・・ってそうなら国会議員も入ってるから国会議員も改憲の話できないやんけ!となる。それはいくらなんでもおかしい。

 

改憲の自体は99条の前の96条に書かれている。

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

読んでの通り国会議員が発議するのだから事前に議員が議論するのは避けられまい。そう考えると99条の「尊重し擁護する」とは別に改憲の話をするなという意味ではないと考えるのが自然だろう。これは憲法違反をしないように努力せよとか、はたまた憲法を無視、軽視する外力に抗えみたいな話であって、改憲の話とは別であろう。(だから例えば去年話題になった臨時国会の招集が遅いみたいな話で53条と併せて99条違反だろみたいな話になればそれはわかるのであるが)(また、"前回"の全面改定時のような国家に課せられた法的義務がある時しか発議できないみたいな話をする人はよもやおるまい・・・と信じたいが)

 

だから首相が改憲の話をするのが気に食わない人は例えば99条でなくあくまで行政府の長なんだから三権分立上問題があるという方が筋がいいだろう。ただ首相であっても二元代表制である日本の制度下では当然に議員なのだからその立場としてなしうる職務について言及することがことさら問題になるとも思えない。これまで告示のなかで自衛隊関連法案について一切話したことはないということはないだろうし、それが憲法でも構造は同じだろう。整備するとまでいうのは越権だという批判ももらったが、96条に国民に提案し、承認を得ると書いてある通り、国会議員に発議の主体性が認められてるのであって、改憲の意思を持つこと自体は問題にはならないだろう。ただ、もし改憲するのが責務だとまでいうと語弊があるだろう。しかし首相はあくまで「環境を整える」のが責務と言ったまでであり、その責務の一部が「改憲の発議」ということであれば問題なかろう。

 

また首相の立場としても、法律では政府提出法案があるのだから政府提案改憲というのがあっても殊更に異常なことだとは思わないのだがどうだろうか?(実際、例えばフランスでは政府も改憲を提案できる)もちろん憲法は国家を縛るものであるからその統治機構がその制約を緩めるように動くのは元来、抑制的であるべきだろう。だが、改憲は悪で凝り固まっている人は理解しがたいかもしれないが改憲したい勢は良かれと思ってやっているのである。現状の憲法の一部が国益が国民の幸福への枷になるのであればそれを正そうとするのは自然の流れだ。手続きに問題がなければ合憲であろうし、その過程で問題視される事象があったとしてもそれらの最終判断も統治行為論的に国民に委ねられると考えるのが妥当と思われる(もちろんそれらの事象が公知の上での話だが)

 

最後に改憲反対派の人たちにアドバイスしておきたいが、仮に相手が間違っていても批判の論理はどうでもいいということにはならない。感情的になって論理がおろそかになるのはまったくいただけない。今回批判したような99条を利用した改憲議論批判は逆に立憲主義を馬鹿にし、憲法尊重していないともいえるだろう。まるで、まともに議論すると負けるのではないかと思っているのではないかと穿ってしまうほどに残念な詭弁である。むしろこのエントリのような批判は改憲反対派から出てくるのが本来は好ましいのだろう。正々堂々の議論を望む。

 

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