なぜクマラスワミ報告を擁護してしまうのか?
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- [歴史捏造主義]
吉田証言が捏造と判明したにも関わらず、報告書の該当部分の撤回を拒否した人と同席することが光栄だなんて言ったら、歴史修正主義礼賛と思われかねないでしょ?いつもの歴史修正主義批判はどうした?
2015/07/09 10:55
ニュースの内容自体は5月ぐらいから一部で話題になっていたようだが、ここにきて表面化してきたようだ。
私の意見は上のブコメの通りで当然の対応だと思うのだが、他のブコメの反応はそうではないようで、そもそもクマラスワミ報告に対する認識が足りていないのではないかと伺える。
hate_flagが「クマラスワミ報告書は吉田証言を肯定してないからね。」等と言ってきたが、かなり認識が甘いのではないか?「肯定していないから修正する必要はない」ということだろうか?
クマラスワミ報告書は単なる証言集といったものではなく本人の意見が書かれている報告書だ。
ここで吉見義明*1がクマラスワミに送った手紙の内容を秦郁彦が紹介しているので以下に引用する。(孫引き失礼)
(略)吉見義明教授もク女史あてに書簡を送った。
全文は公開されていないが、日本の戦争責任資料センターが三月一日付で刊行した『R・クマラスワミ国連報告書』の「解説」は「率直にいって確実に事実誤認と思われる箇所がいくつかある。
その訂正は早急にクマラスワミ氏によっておこなわれるものと期待している」として、吉見がク女史あての書簡で指摘した要点を紹介しているので、要旨を次に引用したい。
"誤りの原因について述べますと、ヒックスに依拠した点が問題です。この本は、誤りの大変多い著書ですので、notesから削除したほうがいいと思います。一例をあげると、彼は吉田清治氏の経歴をまちがえている。彼は東大卒ではなく、東京にある大学を卒業したものです(吉田の本による)。
またヒックスが引用している吉田氏の著書の「慰安婦」徴集の部分は、多くの疑問が出されているにもかかわらず、吉田氏は反論していません。・・・・・・吉田氏が反論することは困難だと思われます。吉田氏の本に依拠しなくても、強制の事実は証明することができる(誰が強制したかを別にすれば、日本政府も徴集時や慰安所での強制を認めている)ので、吉田氏に関連する部分は必ず削除することをお勧めします。"
つまり吉見のような全うなリテラシーに基づいて報告書を読めば、クマラスワミ報告は「吉田の本に依拠して強制の事実を証明しようとしている」のであり、吉見のような知的誠実さに基づけばその箇所は削除すべきだという結論に至るはずなのである。
具体的には報告書の29節で言及があり、強制連行の証言の一つとして吉田証言が挙げられている。 (報告書へのリンク 正文 和訳 )
一方、40節に秦の反対意見も書かれており、両論併記であり、吉田証言を肯定しているわけではないという意見があるが、これは納得しかねる。というのは29節の方では吉田証言を自説への証拠として用いているにも関わらず、40節では秦はこう言っているという紹介レベルの言及であり、では吉田証言の信憑性はどうなるというような評価もしていない。扱いに差があり併記といえるような等しい扱いではない。
中立であればそもそも自説への補強に用いないはずだし、肯定的立場であるのは間違いないだろう。
吉見もいうようにもし結論が変わらずとも根拠に誤りがあるのであれば、そこは訂正すべきだというのが全うな知的誠実さに基づく歴史認識だろう。
にもかかわらず、修正の必要はないというような意見が多いのは、おそらく修正してしまうと慰安婦否定論者に勢いを与えることになりそれを回避したいというような思惑があるのではないか。被害者よりのバイアスが悪とまでは言わないがそれによって知的誠実さが損なわれてしまうのであればその様態も一つの歴史修正主義と言わざるをえまい。
政治的意思によりそういった立場をとることは当人の自由であろうが、私にはどうせ犯人なのだから捏造証拠でもって有罪にしてもよいと考えるような検察の姿が連想される。
そのような立場は真の被害者救済から遠のくだろう。クマラスワミ報告同様にもう一つの慰安婦についてまとめたマクドゥガル報告書も大変問題があるのだが、元アジア女性基金理事である大沼保昭は自著の『「慰安婦」問題とは何だったのか』の中で両報告を評して以下のように述べている。
国連の特別報告者の報告がすべて水準が低いというわけではない。学問的研究としてみても優れた報告もなくはない。ただ、たまたま二人の報告はレベルの低いものだった。「慰安婦」問題という、多くの人の関心を集めた問題に関する報告がお粗末なものだったことは、国連の権威と信頼性を傷つけるもので、残念なことだった。それをひたすら持ち上げた日韓の知識人、NGO、メディアの姿勢も、恥ずかしいものだったというほかない。
むろん、専門を異にする学者や専門的知識をもたないNGOやジャーナリストが、国連報告者の報告の学問的水準を判断することは難しい。そうした非専門家に、そこまで厳密な判断を求めるのは酷である。しかし、なればこそ、非専門家は正確な判断を求めて優れた専門家を探し、彼(女)らの意見を仰ぐ努力を尽くすべきである。そして、その専門家の意見が自分たちの求めるものと異なる場合は、その苦い真実に向かい合い、NGOは自己の主張や運動を再考し、ジャーナリストはみずからの報道や主張にそうした苦い真実を反映させるべきである。
「慰安婦」問題を扱ったNGOやメディアの多くは、こうした地道な努力を払わなかった。その結果、クマラスワミ、マクドゥガル両報告の過大評価が生じ、それが被害者支援運動を誤らせた。「慰安婦」問題における「クマラスワミ・ブーム」はこうした苦い教訓を後代に残しているのである。
同じ轍は踏みたくないものだがそもそも当初の過ちが未だに共有されていないように思われる。
※またよくこの報告書が国連の見解だのように思われているが、内容は「留意」されている。普通は「歓迎」されるが、日本側のロビー活動が奏功したようだ。その経緯は秦の前出書P.279-286に詳しい。
「慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪 (中公新書)
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